Vol.086: 平沢 潤(プロテニスコーチ)2/4

寝る前のウイスキーが日課となっています。その日あったことを振り返り、もの思いにふける。世界中のみんなに「今日も一日お疲れ様!」と伝えたくなる。板倉です、こんにちは。

さて「1%の情熱ものがたり」、前回に引き続き、22人目のインタビュー。一歩一歩と積み重ねてきた経験が、一生に一度と言える大舞台(2020 東京オリンピック・パラリンピック)での大仕事にフル稼働されることでしょう。カリフォルニアの太陽で健康的に日焼けした爽やかな笑顔のプロテニスコーチ、平沢さんのものがたり。

なんと幼少期の小児喘息が全快しスポーツ少年となった平沢さん。テニスコーチとして歩み出し、いろんなご縁を繋いでいくキャリアアップの過程。アメリカでのご活躍振りと独立までのものがたりです。

それでは、お楽しみください!

Vol.86 1%の情熱ものがたり:平沢 潤(プロテニスコーチ)

▼Show Notes 2/4

Vol.86
・東京都墨田区生まれ
・高度成長期の町工場
・小児喘息がきっかけで千葉に引越し
・水泳とサッカー、軟式テニスを経て硬式テニス
・将来の夢は、学校の先生や旅行代理店の添乗員
・勉強が嫌いだった
・団体競技から個人競技へシフト
・硬式テニスが難しかった
・できない人の気持ちがわかるからコーチ向いてる
・先輩が始めたテニススクールでコーチを始める
・テニス推薦で大学入学が決まってたが辞退
・テニス部の監督に謝ってコーチの道へ
・最初は子供を教え、徐々に試合に勝てる競技志向へ
・テニスコーチを経てヨネックス株式会社入社
・英語はできなかったがアメリカに転勤、当時27歳
・1996年のアトランタオリンピックで販促活動
・まずは英語、和英辞書を持ち歩いた日々
・いろんなことが繋がっていて今に繋がっている
・固く考えずオープンに
・2001年の911で奇跡的な出来事
・どうやったらアメリカに残れるかな
・テニスアカデミーの支部として独立
・日本、アメリカ、中国を拠点として活動

>リアルアメリカ情報
・サンフランシスコの最安の家はいくら?

収録場所:アメリカ・カリフォルニア・パロスバーデス

*1時間ほどインタビューさせて頂いた内容を、
4回にわたり配信(アメリカ時間で毎週金曜予定)しています。


▼Interviewee Profile

平沢 潤 / Jun Hirasawa
プロテニスコーチ
California ITA, Inc.
https://www.facebook.com/jun.hirasawa.10

東京生まれ。高校卒業後、大学進学を辞退しテニスコーチとして就職。1990年、ヨネックス株式会社入社。国内テニス販促部にて自身のネットワークと持ち前の体力を活かして、学校やテニスクラブへのテニス関連商品の販売促進に貢献する。海外営業部に移動となり1995年にアメリカ現地法人:YONEX USAで北南米地区でのテニスの販促強化に抜擢され渡米。英語に苦労しながらも情熱を持って行動し続け、業績アップに大きく貢献する。2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件の直後、日本への帰任の打診を受けながらも、プロテニスコーチとしてアメリカに留まることを選択。2001年にCalifornia ITA Inc. を設立し、モニカ・セレス(2002~2004年)、小畑沙織(2004~2006年)など、世界、日本のトップ選手のコーチとしてツアー大会に帯同。現在は、Jack Kramer Clubや広州(中国)でプロコーチとして日本とアメリカで得た経験と人脈を活かし、日本で開催されているツアー3大会運営に10年以上関わり、2020年東京オリンピック、パラリンピック大会組織委員会の契約職員(テニス選手サービス)として奔走中!


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