1%の情熱ものがたり、本編のインタビューを掲載していきます。

Vol.370 竹部茂教(フォトグラファー)2/4
朝晩だんだんと冷え込んできて夏が恋しい今日この頃。美味しい秋刀魚と鰻食べたい。その後モンブランのケーキをたらふく食べたい。日本一時帰国を検討して(やっぱ今回はパスしました)そんなことばかりを想像してしまう金曜の板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、93人目のインタビュー。 奈良県橿原市出身。明るく活発な子供時代を経て、思春期と呼ばれる時期には80年代のアメリカ文化に強い憧れを抱くように。マドンナやマイケル・ジャクソンに熱狂した日々が、結果的に彼の人生のコンパスになっていたのかもしれません。一度は銀行に就職するも、アメリカへの夢を諦めきれず、回り道をしながらも31歳で渡米を決意。当初目指していた道とは違う「写真」の世界で、その魅力にハマっていくことに。人生とは面白いもので、時に回り道ややむを得ずした選択がその人を本当に輝ける場所へと導いてくれるんですね。そして、趣味は仕事となり、憧れの地ロサンゼルスでウェディングフォトグラファーとして活躍。ただ写真を撮るだけでなくお客さんとの繋がりを何よりも大切に、手触り感のある「紙のフォトブック」を贈ることにこだわる姿勢から、彼の純粋で温かい人柄が伝わってきます。「いつか故郷の奈良で、外国人観光客のガイドをしたい」という夢もきっと叶えて楽しそうにしている姿が目に浮かびます。そんな手抜きのない仕事人・竹部さんの、夢を“思い続ける”ことの大切さを教えてくれる情熱ものがたり。 いやー人生って思うように進まない方がきっと多いとは思いますが、繋がってないようでいて後から何かしら繋がってくる面白さがありますね。やっぱり無駄なものなんて無いのかもしてないって前向きに思えたりします。そんなお話。

Vol.369 竹部茂教(フォトグラファー)1/4
人の心を支えてくれる歌ってありますよねー。色々と世知辛い世の中になってると感じることもあるけれど、一生懸命に泣いて笑って生きてく方が楽しんだなきっと。そんな金曜の板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」93人目のインタビュー、最初のエピソード。 奈良県橿原市出身。明るく活発な子供時代を経て、思春期と呼ばれる時期には80年代のアメリカ文化に強い憧れを抱くように。マドンナやマイケル・ジャクソンに熱狂した日々が、結果的に彼の人生のコンパスになっていたのかもしれません。一度は銀行に就職するも、アメリカへの夢を諦めきれず、回り道をしながらも31歳で渡米を決意。当初目指していた道とは違う「写真」の世界で、その魅力にハマっていくことに。人生とは面白いもので、時に回り道ややむを得ずした選択がその人を本当に輝ける場所へと導いてくれるんですね。そして、趣味は仕事となり、憧れの地ロサンゼルスでウェディングフォトグラファーとして活躍。ただ写真を撮るだけでなくお客さんとの繋がりを何よりも大切に、手触り感のある「紙のフォトブック」を贈ることにこだわる姿勢から、彼の純粋で温かい人柄が伝わってきます。「いつか故郷の奈良で、外国人観光客のガイドをしたい」という夢もきっと叶えて楽しそうにしている姿が目に浮かびます。そんな手抜きのない仕事人・竹部さんの、夢を“思い続ける”ことの大切さを教えてくれる情熱ものがたり。 コロナ禍で最もダメージが大きかった業界の一つでもある海外ウェディングに絡んだお仕事。そんな苦難を乗り越えて来られたのはやはりお客さんとの繋がりを大切に仕事をされているからでしょうか。本当に頼もしい仕事人です!

Vol.368: ラム前田庸子(HAKKO 主宰/麹の学校 認定講師)4/4
やることたくさん忙しくありつつも週末にかけて良い波が来てるとなんだかテンション上がってくるんですよねー。緊張と緩和、生活の中のリズムを大切に。板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」92人目のインタビュー、最終エピソード。 奈良県出身。左利きだったからか何故か自分は不器用だと思ってしまった子供の頃。母の友人や父の影響もあり海外には興味があった。大学在学中のヨーロッパ、その後の台湾での日本語教師経験を経て、結婚を機にアメリカへ渡ることに。そして異国の地で改めて出会った“麹”が人生の転機となる。味噌、醤油、甘酒、漬物──祖母の記憶とともに甦る発酵の香りが、心の中で眠っていた何かを蘇らせた。気づけばワークショップの講師となり、ロサンゼルスを拠点に日本の発酵文化を伝える「HAKKO」の活動をスタート。今では、料理人やシェフたちとも手を取り合い、伝統を守りながらも進化する“新しい発酵”に挑戦中。地味で目立たず、でも確実に人の心を動かす──そんな「発酵の力」を、世界に届けたい。“Just do it, Why not?” そう笑顔で語る庸子さんの、心も体も優しく温まるような情熱ものがたり。 人間生活の中で最も大切な食。その中にあって無限の面白さと可能性を秘めた「発酵」はきっと一生続けられる楽しみでもある。なんと素敵な。僕も有言実行、まずはお味噌作りから初めてみたいと思います!

Vol.367: ラム前田庸子(HAKKO 主宰/麹の学校 認定講師)3/4
ちょうどいい塩梅って難しい。人が関わることであれば尚更、全て自分の思い通りにはいかないもの。そこにじれったさもあれば新しい気づきもあったりするから結局楽しんだもん勝ちだなと思う金曜の板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」92人目のインタビュー、最初のエピソード。 奈良県出身。左利きだったからか何故か自分は不器用だと思ってしまった子供の頃。母の友人や父の影響もあり海外には興味があった。大学在学中のヨーロッパ、その後の台湾での日本語教師経験を経て、結婚を機にアメリカへ渡ることに。そして異国の地で改めて出会った“麹”が人生の転機となる。味噌、醤油、甘酒、漬物──祖母の記憶とともに甦る発酵の香りが、心の中で眠っていた何かを蘇らせた。気づけばワークショップの講師となり、ロサンゼルスを拠点に日本の発酵文化を伝える「HAKKO」の活動をスタート。今では、料理人やシェフたちとも手を取り合い、伝統を守りながらも進化する“新しい発酵”に挑戦中。地味で目立たず、でも確実に人の心を動かす──そんな「発酵の力」を、世界に届けたい。“Just do it, Why not?” そう笑顔で語る庸子さんの、心も体も優しく温まるような情熱ものがたり。 紀元前からその存在を知られ人間の食生活の中にあった麹や発酵文化。それがここ10年20年で特に注目されているというお話。テクノロジーの発達とは真逆の方向性な気がして、なんか人間って面白いって感じました。

Vol.366: ラム前田庸子(HAKKO 主宰/麹の学校 認定講師)2/4
やっぱりあれよね、人が作ってくれた想いが込もった食べ物ってとっても優しい味がするんだよね。誰かのために優しい食べ物を作れるような人になりたいなぁなんて思った金曜の板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」92人目のインタビュー、最初のエピソード。 奈良県出身。左利きだったからか何故か自分は不器用だと思ってしまった子供の頃。母の友人や父の影響もあり海外には興味があった。大学在学中のヨーロッパ、その後の台湾での日本語教師経験を経て、結婚を機にアメリカへ渡ることに。そして異国の地で改めて出会った“麹”が人生の転機となる。味噌、醤油、甘酒、漬物──祖母の記憶とともに甦る発酵の香りが、心の中で眠っていた何かを蘇らせた。気づけばワークショップの講師となり、ロサンゼルスを拠点に日本の発酵文化を伝える「HAKKO」の活動をスタート。今では、料理人やシェフたちとも手を取り合い、伝統を守りながらも進化する“新しい発酵”に挑戦中。地味で目立たず、でも確実に人の心を動かす──そんな「発酵の力」を、世界に届けたい。“Just do it, Why not?” そう笑顔で語る庸子さんの、心も体も優しく温まるような情熱ものがたり。 左利きであることによって苦労したエピソードもありましたが、人と違うことってやっぱり個性であり特異点になるので希少価値が高いんだ!ってなんか納得。良き出会いこそが人生を好転させていくんですねー、しみじみ。

Vol.365: ラム前田庸子(HAKKO 主宰/麹の学校 認定講師)1/4
段取り仕事が優先だ!と分かって準備はしていてもなんだかんだとバタバタしてしまうシチュエーションってやっぱあるよね? ”平常心” と書いた手拭い欲しいなぁなんて思う金曜の板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」92人目のインタビュー、最初のエピソード。 奈良県出身。左利きだったからか何故か自分は不器用だと思ってしまった子供の頃。母の友人や父の影響もあり海外には興味があった。大学在学中のヨーロッパ、その後の台湾での日本語教師経験を経て、結婚を機にアメリカへ渡ることに。そして異国の地で改めて出会った“麹”が人生の転機となる。味噌、醤油、甘酒、漬物──祖母の記憶とともに甦る発酵の香りが、心の中で眠っていた何かを蘇らせた。気づけばワークショップの講師となり、ロサンゼルスを拠点に日本の発酵文化を伝える「HAKKO」の活動をスタート。今では、料理人やシェフたちとも手を取り合い、伝統を守りながらも進化する“新しい発酵”に挑戦中。地味で目立たず、でも確実に人の心を動かす──そんな「発酵の力」を、世界に届けたい。“Just do it, Why not?” そう笑顔で語る庸子さんの、心も体も優しく温まるような情熱ものがたり。 お話し聞いていて思い出すのは、遊び疲れた日や旅行出張で家に帰ってきた日なんかに食べる白いご飯とあったかいお味噌汁が五臓六腑に染み入るあの感覚。なんだか日本人でよかったなって改めて感じるストーリーです。

Vol.364: 中村 謙吾(オーナーシェフ)4/4
来週配信予定の番外編の収録をして楽しかったなぁなんて思ってたらなんだかんだと配信時間がいつもより遅くなってしまって、急いでこれを書いている金曜の板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」91人目のインタビュー、最終エピソード。 福岡県生まれ、東京・池袋育ち。中学から“レールを外れた”と語る人生は、決して平坦ではなかったことでしょう。山形県のスキー場ペンションのバイトで出会った料理体験が後の人生を大きく飛躍させる原点となる。キッチン、バーテン、店長、エリアマネージャーと飲食業のあらゆる現場を経験。母親の仕事の関係で帯同し訪れたラスベガス、今から大きく発展していくこの街で感じたこと「ここで勝負してみよう」。32歳、自分の直感を信じ海外で初めての起業という大きな決断をして日本食レストランをスタート。言葉や文化の壁はもちろん、日本と現地人スタッフの働き方の違いに苦労しながらもなんとか軌道に乗せていく。頼りだった寿司シェフが退職というピンチの時には、持ち前のめり込む集中力を活かして独学での寿司修行も。その後「Tokyo Style Italian」という独自のジャンルで「中村屋」をオープン。日本人ならではきめ細やかさと素材の味を生かしたイタリアンで自らの料理哲学を貫き続ける。多くの地元客とフードブロガーやメディアにも評価され、アジアン・レストラン・オブ・ザ・イヤーなど数々の受賞歴も。「誰かのために食事をつくる」ビジネスではなくライフワークとなった料理は、きっとこれからも多くの人々に幸せを与えるはず。そんな謙吾さんの美味しく楽しい情熱ものがたり。 人生で培ってきた経験や気づき、形になったレシピや経営のコツ、全て惜しみなく教えてあげたいという謙吾さんの想いがとっても素敵だなと思いました。またパスタ食べに行かせていただきます!

Vol.363: 中村 謙吾(オーナーシェフ)3/4
無事にドイツ出張から戻ってきて二日目からなんか時差ボケ?的なものを感じつつも休み休み仕事をしています。いやー、ドイツ良かったっす。また必ずヨーロッパに行きたいなって思う金曜の板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」91人目のインタビュー、最初のエピソード。 福岡県生まれ、東京・池袋育ち。中学から“レールを外れた”と語る人生は、決して平坦ではなかったことでしょう。山形県のスキー場ペンションのバイトで出会った料理体験が後の人生を大きく飛躍させる原点となる。キッチン、バーテン、店長、エリアマネージャーと飲食業のあらゆる現場を経験。母親の仕事の関係で帯同し訪れたラスベガス、今から大きく発展していくこの街で感じたこと「ここで勝負してみよう」。32歳、自分の直感を信じ海外で初めての起業という大きな決断をして日本食レストランをスタート。言葉や文化の壁はもちろん、日本と現地人スタッフの働き方の違いに苦労しながらもなんとか軌道に乗せていく。頼りだった寿司シェフが退職というピンチの時には、持ち前のめり込む集中力を活かして独学での寿司修行も。その後「Tokyo Style Italian」という独自のジャンルで「中村屋」をオープン。日本人ならではきめ細やかさと素材の味を生かしたイタリアンで自らの料理哲学を貫き続ける。多くの地元客とフードブロガーやメディアにも評価され、アジアン・レストラン・オブ・ザ・イヤーなど数々の受賞歴も。「誰かのために食事をつくる」ビジネスではなくライフワークとなった料理は、きっとこれからも多くの人々に幸せを与えるはず。そんな謙吾さんの美味しく楽しい情熱ものがたり。 経営者ってきっとそうですよね、ずっと走り続けるしかない。自分の信じるものや決めたこと、妥協せずに改善を繰り返し継続しながらも同時並行的に新しいことへの挑戦をやめない。かっこいい生き方だなぁって思います!

Vol.362: 中村 謙吾(オーナーシェフ)2/4
これが配信されてるころはきっと出張中なので、今はフライト前日に書いてます。色々準備してもきっとなにかしらで焦ったりもするんだろうけど、なるべくその場所でしか経験できないことをして、たくさん楽しみたいなぁと思ってる金曜の板倉です、こんにちは。 「1%の情熱ものがたり」91人目のインタビュー、最初のエピソード。 福岡県生まれ、東京・池袋育ち。中学から“レールを外れた”と語る人生は、決して平坦ではなかったことでしょう。山形県のスキー場ペンションのバイトで出会った料理体験が後の人生を大きく飛躍させる原点となる。キッチン、バーテン、店長、エリアマネージャーと飲食業のあらゆる現場を経験。母親の仕事の関係で帯同し訪れたラスベガス、今から大きく発展していくこの街で感じたこと「ここで勝負してみよう」。32歳、自分の直感を信じ海外で初めての起業という大きな決断をして日本食レストランをスタート。言葉や文化の壁はもちろん、日本と現地人スタッフの働き方の違いに苦労しながらもなんとか軌道に乗せていく。頼りだった寿司シェフが退職というピンチの時には、持ち前のめり込む集中力を活かして独学での寿司修行も。その後「Tokyo Style Italian」という独自のジャンルで「中村屋」をオープン。日本人ならではきめ細やかさと素材の味を生かしたイタリアンで自らの料理哲学を貫き続ける。多くの地元客とフードブロガーやメディアにも評価され、アジアン・レストラン・オブ・ザ・イヤーなど数々の受賞歴も。「誰かのために食事をつくる」ビジネスではなくライフワークとなった料理は、きっとこれからも多くの人々に幸せを与えるはず。そんな謙吾さんの美味しく楽しい情熱ものがたり。 飲食業界一筋であらゆる職種を経験して最終的に独立起業、しかも海外で!なんとも昭和の男っぽさというか、ストレートな気質が感じられます。躊躇なく自分の信じた道を突き進む。これが出来る人って実はなかなかいないんだろうなぁ、だからきっと尊いのだ、と思いました。